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第1章 はじまりは茨城県のあるキャベツ畑から。 ――日本もぎたてファクトリーHDの原点 誕生秘話

始まりは、2010年の茨城。
地域の野菜を使い、地域の人の手で惣菜をつくる――そんな小さな挑戦から、歩みが始まりました。
やがてその想いは三重、大分、青森へと広がり、2023年、「日本もぎたてファクトリーホールディングス」として新たな一歩を踏み出しました。

編集部が樋口に、国産の惣菜事業を始めた“きっかけ”を尋ねたとき、返ってきたのは意外にも“キャベツ畑の話”でした。

キャベツ畑での疑問

「どうして、採らないんですか?」

大学生だった樋口が東京で新規営業をしていた時のこと。手探りの活動のなかで、大手居酒屋チェーン向けの提案で偶然机上の空論として出したプレゼンが通ってしまいます。ただ、提案をしておきながらそもそもほうれん草の原料などなかったため、茨城中の生産者を訪ねることになってしまいました。
そこで出会ったのが当時茨城中央園芸農業協同組合 専務の藤田正三氏でした。

それから数年後、再びご縁があり訪れた茨城の畑。立派なキャベツが一面に実っているのに、収穫していませんでした。

その理由を農家さんに尋ねると、
「豊作すぎて価格が崩れてね。〇〇円じゃ採る意味がないんだよ。」

「それは安いですね」と樋口。「ところでいくらだと採られるのですか?」

「△△円なら採るんだけどね。」

その返答に「うそだろ」と大変驚いたそうです。

そして「もし私が△△円払ったら、全部収穫してくれますか?」と質問。
「もちろん採るよ、でもそんなうまい話あるわけないでしょ(笑)」

――なぜ、こんなことになってしまっているのだろうか…

そのとき樋口は問いました。「この構造ってどうなっているのだろうか?」と。
調べていくうちに、電話一本で「なんとかしてよ」と言う人たち、それに対応するためにあらかじめ準備をする生産者。
そこに群がる謎のブローカーたち。 そしてそのすべてのコストを消費者が支払っている。

そんな国産野菜をしり目に、どんどん輸入されてくる中国産や海外産の野菜。
『何とかしたい…。』そんな志が生まれたそうです。

 

ある違和感。

もうひとつ、樋口を動かしたのは昔から抱いていたある違和感でした。

「なぜ国産ではなく、外国産の野菜を食べるのか?」

当時の日本の業務用は、海外依存が当たり前(今でもかも)。

国産野菜は高くて、中国産中心の野菜は安い。それが当たり前の常識でした。
でも、そんなことはあり得ないはず…
机上の空論ではなく、畑という現場からの視点で考えると、世の中の常識と少し異なる景色が見えきたのかもしれません。

 

絵空事から始まった挑戦

「藤田さん、中国産の野菜と戦いましょう!」

ある日、樋口は藤田氏にそう提案しました。農林水産省の審議委員を務めるほどの見識のある藤田氏は、少し考えてから(おそらく各方面に気を使いながら)やんわりと否定しました。

それでも樋口は諦めず、お会いするたびに、何度も、何度も同じ話をしたそうです。

そして3年目のある日、ついに藤田氏が折れたそうです。
「……わかりました、やってみましょう。」

そこから始まったのが、“日本もぎたてファクトリーHD”の前身となる取り組み。
茨城で、茨城県産のお惣菜をつくる。それも中国産の小松菜を使ったお惣菜と同じ価格帯で。

「そんなの無理だ」と多くの人が言う中、樋口は“絵空事”を本気で語り続けました。藤田氏もその絵空事に本気で付き合ってくれました。さらに「これは茨城県や農水省にも関わってもらうべきだ」と言って、一緒に動いてくださったのです。

それでも当時は(今でも)この非常識な取り組みは理解されませんでした。

「誰も協力してくれないのなら、もう我々だけでやりましょう。」
そうして、“国産野菜は高い”という常識を覆す挑戦が始まったのです。

 

「国産野菜は本当に高いのか?」

これは、国産野菜の未来への挑戦だ!という志を持ってスタートした取り組みでした。
当時、国内で流通してる業務用の冷凍野菜の多くは中国産。
「中国産の方が品質が安定している」という謎の理由で、まったく売れなかった。発売当初は顧客からの反応は良くありませんでした。
今考えると信じられませんが、それほど当時は“中国産”が当たり前で、“国産野菜を使用した惣菜”というのは新しい取り組みでした。

社内でも冷ややかな声が多く、誰も協力しない状況だった、というのが、本当にあった怖い話です。
人は得体のしれないもの、理解できないものを否定すると言いますが、この事業もその状況だったそうです。
「また何か新しいことを始めた」と、営業もあまり動かない。
謎に、そこで樋口は「いける…!」と確信したと言います。

「考えてみてください。種は同じです。中国でも日本でも、育って収穫までの期間は同じ。魔法で一瞬で育つわけでもない。冷凍して船に乗せて日本に運んでくるコストまでかかっているのに、なぜ国産の方が高いのか。」
農業のコスト構造を一つひとつ調べた樋口は、“常識”とされていた価格の前提を疑い、
「ちゃんと整理すれば、生産者さんが無理をしなくても国産はもっと安くできる」と確信し、この事業の担当者と粘り強く、一つずつ丁寧に進めていきました。

 

ブランディング

2008年に転機が訪れます。
茨城中央園芸農業協同組合が農林水産大臣賞を受賞し、表敬訪問で茨城県知事とお会いすることになりました。
樋口もこのお惣菜を持って同席しました。知事の反応は、画期的ですごい!と良かった。
ただ一言、「三重県の会社のお惣菜だから、茨城県は応援できない。」と。

「なるほど。見せ方(ブランディング)を間違えていた!」と気づきました。

そこでブランド戦略を転換、“茨城のものは、茨城で作って売るべきだ”と決意。茨城に会社を設立し、地域に根ざしたブランドを確立しました。

すると、商品は地産地消の波もあって少しずつ売れ始め、工場建設の話も進みます。やがて“茨城もぎたてファクトリー”が本格始動しました。

 

誰かがやらなきゃいけない

 

工場建設時、当時の農水大臣にこの話をしたところ、賛同してくださり、政府系のファンドから出資していただくことになりました。

こうして事業の立ち上げには、政府系ファンドである農林漁業成長産業化支援機構(A-FIVE)が入りました。政府系50%、生産者30%、ヤマダイ20%。樋口は“雇われ会長”という立場になりましたが、迷いはありませんでした。

「これは僕が持つべきじゃない。国のために、誰かがやらなきゃいけないことだから。」

こうして、日本もぎたてファクトリーHDの前身である茨城事業(茨城もぎたてファクトリー)が誕生しました。誰もやらないことを、常識を疑いながら形にする。そのきっかけは――茨城のキャベツ畑にありました。

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