地域の野菜を使い、地域の人の手で惣菜をつくる――そんな小さな挑戦から、歩みが始まりました。やがてその想いは大分、三重、青森へと広がり、2023年、「日本もぎたてファクトリーホールディングス」として新たな一歩を踏み出しました。
編集部が樋口に、国産の惣菜事業を始めた“きっかけ”を尋ねたとき、返ってきたのは意外にも“キャベツ畑の話”でした。
キャベツ畑での疑問
「なんで、採らないんですか?」
大学生だった樋口が東京で営業をしていた時のこと。まだ営業本部もなく、手探りの活動のなかで偶然出来もしないプレゼンが通ってしまい、ほうれん草の供給が難しくなったため、茨城の生産者の元を訪れることになりました。そこで出会ったのが当時茨城中央園芸農業協同組合の専務であった藤田正三氏です。
数年後、ご縁があり再び訪れた茨城の畑。立派なキャベツが一面に実っているのに、誰も収穫していませんでした。
その理由を農家さんに尋ねると、
「豊作すぎて価格が崩れてね。〇〇円じゃ採る意味がないんだよ。△△円なら採るんだけどね。」
樋口の頭には疑問が浮かびます。
「もし私が△△円払ったら、全部収穫してくれますか?」
「そんなうまい話あるわけないだろ。」
――なぜ、たった数十円の差でこんなに違うのか?
そのとき樋口は気づきました。農家さんから出荷する時の価格と実際に店頭に並ぶときの価格の間には、無数の“中間の人間”が存在している。電話一本で「なんとかしてよ」と言う人たちが、既得権益の名のもとに利益を抜いていく構造――。
「大事にすべきは生産者さんなのでは?」
この素朴な疑問が、後の“国産野菜で中国産に挑む”という発想のきっかけになりました。
ある違和感。
もうひとつ、樋口を動かしたのは昔から抱いていたある違和感でした。
「なぜ国産ではなく、外国産の野菜を食べるのか?」
当時の日本の業務用は、海外依存が当たり前(今でもかも)。
「もし、有事の際に、畑が全て芋になったら、嫌じゃないですか?だったら自分たちで作るしかないと思いました。」
“日本の野菜を自分たちで守る”という想いが、茨城事業の根底にありました。
絵空事から始まった挑戦
「藤田さん、中国産と戦えますよ!」
ある日、樋口は藤田氏にそう提案しました。農林水産省の審議委員を務めるほどの見識のある藤田氏は、少し考えてから(おそらく各方面に気を使いながら)やんわりと否定しました。
それでも樋口は諦めず、お会いするたびに、何度も、何度も同じ話をしたそうです。
そして3年目のある日、ついに藤田氏が折れました。
「……わかりました、やってみましょう。」
そこから始まったのが、“日本もぎたてファクトリーHD”の前身となる取り組み。茨城で、茨城県産の小松菜を使ったお惣菜をつくる。それも中国産の小松菜を使ったお惣菜と同じ価格で。
「そんなの無理だ」と多くの人が言う中、樋口は“絵空事”を本気で語り続けました。藤田氏もその絵空事に本気で付き合ってくれました。さらに「これは茨城県や農水省にも関わってもらうべきだ」と言って、一緒に動いてくださったのです。
それでも当時は(今でも)この非常識な取り組みは理解されませんでした。
「誰も協力してくれないのなら、もう我々だけでやりましょう。」
そうして、“国産野菜は高い”という常識を覆す挑戦が始まったのです。
「国産野菜は本当に高いのか?」
当時、国内で流通してる業務用の冷凍野菜の多くは中国産で、「品質が安定している」という理由で、まったく売れませんでした。今考えると信じられませんが、それほど当時は“中国産”が当たり前で、“国産野菜を使用した惣菜”という新しい取り組みは拒否されていました。
樋口が中国産と同価格で国産小松菜のお惣菜をつくる事業を始めたとき、社内でも冷ややかな声が多かったと言います。
「また何か新しいことを始めた」と、営業もあまり動かない。
「考えてみてください。種は同じです。中国でも日本でも、育って収穫までの期間は同じ。魔法で一瞬で育つわけでもない。冷凍して船に乗せて日本に運んでくるコストまでかかっているのに、なぜ国産の方が高いのか。」
農業のコスト構造を一つひとつ調べた樋口は、“常識”とされていた価格の前提を疑い、「ちゃんと整理すれば、生産者さんが無理をしなくても国産はもっと安くできる」と確信しました。
ブランディング
藤田氏が2008年(?)に農林水産大臣賞を取り、表敬訪問で茨城県知事とお会いすることになり、樋口もこのお惣菜を持って同席しました。知事の反応は、画期的ですごい!と良かった。しかし、販売者が三重県のヤマダイ食品だったことで、茨城県として応援できないと告げられたそうです。
「なるほど。ブランディングを間違えていた!」
そこで樋口はブランド戦略をガラッと変え、“茨城のものは、茨城で作って売る”と決意。茨城に会社を設立し、地域に根ざしたブランドを確立しました。
すると、商品は一気に売れ始め、工場建設の話も進みます。やがて“茨城もぎたてファクトリー”が本格始動しました。

誰かがやらなきゃいけない
工場建設時、当時の農水大臣にこの話をしたところ、賛同してくださり、政府系のファンドから出資していただくことになりました。
こうして事業の立ち上げには、政府系ファンドである農林漁業成長産業化支援機構(A-FIVE)が入りました。政府系50%、生産者30%、ヤマダイ20%。樋口は“雇われ会長”という立場になりましたが、迷いはありませんでした。
「これは僕が持つべきじゃない。国のために、誰かがやらなきゃいけないことだから。」
こうして、日本もぎたてファクトリーHDの前身である茨城事業(茨城もぎたてファクトリー)が誕生しました。誰もやらないことを、常識を疑いながら形にする。そのきっかけは――茨城のキャベツ畑にありました。