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第2章  誰もが「無理だ」と思った構想は、なぜ実現できたのか?

始まりは、2010年の茨城。
地域の野菜を使い、地域の人の手で惣菜をつくる――そんな小さな挑戦から、始まりました。やがてその想いは三重、大分、青森へと広がり、2023年、「日本もぎたてファクトリーホールディングス」として新たな一歩を踏み出しました。

第1章(記事はこちら)では、この挑戦が生まれた背景と、最初の構想についてお届けしました。

続く今回も、代表・樋口へのインタビューを通して、茨城に工場が立ち上がった後のエピソード、そして、なぜこの構想が“実現したのか”をひも解いていきます。

 

誰もが「無理だ」と思った構想とは?

 

当時、日本国内では年間約5万トンもの中国産野菜が流通していました。
一方で、国産野菜は「安いから」と廃棄され、「儲からない」と嘆かれている——そんな現状がありました。

樋口はこの状況に、違和感を覚えます。
本来、国内にあるはずの需要を、なぜ国産で満たせないのか。

「5万トン輸入されている中国産ほうれん草を、国産に置き換えよう!」

そう考え、課題を一つひとつ分解し、検証していきました。
すると見えてきたのは、多くの人がリスクを避け、表面的な最適解にとどまっているという実態でした。

樋口は、当たり前とされている常識や慣習を、ゼロベースで組み立て直しただけだと言います。構想に3年、やっと発売までこぎつけるのにさらに3年。合計6年越しの仕事でした。

そして、いよいよ発売。
しかし、いざ販売してみると、国産を否定する声が大半。なんと、まったく売れなかったのです。

樋口は、師匠からもこの構想は理解されなかったとぼやいていました。

「人は、新しいもの・理解できないものを目の前にすると、否定してしまう」

もし樋口がこの言葉を知らなければ、この事業はここで止まっていたと思います。読書家であったことが、樋口を助けました。

もともと周囲を気にしない樋口は、社内外のネガティブな声や態度も意に介さず、この事業の必要性と未来に賭け、担当者と2人で地道に営業を続けました。少しずつ販売が出来るようになった頃、中国産野菜の残留農薬問題なども追い風となり、この挑戦は一気に軌道に乗ります。この挑戦は、やがて一つの“形”へと結実していきます。

 

竣工式での衝撃の一言。

2016年夏、ついに茨城に専用工場が完成し、竣工式を迎えました。
当時の農林水産大臣からも祝電をいただき、「さあ、これから船出だ!」と息巻いた、まさにその瞬間のことでした。

その場でスピーチをしていた藤田正三氏から、思いがけない一言が投げかけられます。

「正直、こんな工場ができるとは夢にも思っていませんでした。
僕はただ、樋口さんがあまりにしつこかったから、根負けして付き合っただけです」

その言葉に、樋口は衝撃を受けました。
――結局、この事業が本当にうまくいくと“確信”し、
頭の中でその構想をはっきりと思い描いていたのは、自分だけだったのか。そう気づかされた瞬間でもあったといいます。

一方で樋口は、日頃より自分の新しいアイデアを周囲から反対されると、むしろ安心すら覚えると話します。

「自分が新しいと思ったことも、人に話してみて、多くの人に『いいね』と言われるアイデアは、実は平凡ですでに誰かがやっています。
逆に、多くの人が『よくわからない』と感じるもののほうが、チャンスがある」

否定されたからといって、(喜ぶのはどうかと思いますが)失望する必要はない。実はそこにこそ、可能性があるのです。

そんな樋口の姿勢は「変人」と言われることもありますが、実は経営者にとっては誉め言葉だったりもするかもしれません。

 

“しつこい”は、褒め言葉

そして藤田氏の一言は、衝撃であると同時に、樋口にとっては最高の褒め言葉でもありました。

特に「しつこかったから付き合った」というところが。

物事が実現するかどうかを分けるのは、才能よりも粘り強さだと樋口は考えています。
だからこそ、粘り強さが自分の強みでもあると再認識できたことが、正直うれしかったと振り返ります。

1回言って動く人は、ほとんどいない。
10回、100回、1000回言っても、まだ足りない。
だから、1001回言う。

あの有名アーティストの歌詞も、あながち間違っていないのかもしれません。

すぐにうまくいったことは、続かない。なぜなら、それは誰でもできることで、「自分しかできない」ではないからです。

だから樋口は、こう言い切ります。

「難しくて、みんながやりたがらず、しかも、うまくいったときにハイリターンがあって…じゃないと、正直、僕はテンションが上がらないかも」

そして今ではこの工場もフル稼働が続き、増産計画の検討が始まるまでになっています。

 

健康と安全が第一

茨城の工場の休憩室には、ある言葉が掲げられています。

「健康と安全が第一」

これは、茨城もぎたてファクトリーができた際、創業メンバーからのリクエストで樋口が書初めしたものです。
社員にとっては、耳にタコができるほど聞き慣れた樋口の“口癖”でもあります。

ただし、これは決して綺麗ごとではありません。

どれだけお金を稼いでも、病気やケガで動けなくなってしまえば、通帳に並ぶ数字は何の意味も持たなくなります。

事故なく、心身ともに健康であること。当たり前のこと過ぎて忘れられがちですが、それがまず第一!それさえあればだいたい幸せだと、樋口は本気で考えています。

だからこそ、

(樋口智一以外は)「健康を害したり安全のリスクを負ってまで金儲けをする、という考え方には反対です」

と言います。
代表者は全責任があります。誰かは犠牲にならないといけないので、それは自分でいい。
健康と安全以外のことは、本当に些細なことだ—と。

 

現場は、理論どおりに動かない

工場が竣工し、実際に稼働を始めると、理屈では説明できない出来事が次々と起こりました。

寒波で水道が凍結し、破裂する。
ほうれん草にバッタが入り、農薬を増やすのではなくて選別を強化する。
天候不順が続けば、そもそもほうれん草が育たず…詰みに…(汗)

どうにもならないこと、もちろんビジネスの教科書には載っていない現場のリアルの連続でした。

そこを「何とかする!」のが実業家なんだよ!と、当時を振り返りながら、樋口はインタビューで、楽しそうに話してくれました。

「『アイディア』と『実際にやってみる』では、天と地ほどの差があるんです」

それは、陽明学の教えでもあります。

頭で考えることと、実際に行動することは、まったく別物。
現場に立ち、手を動かし、失敗を重ねて初めて、本当の意味で“わかる”ことがある。

「今だから笑って話せますけどね」と樋口は言いますが、当時は、決して笑っていられる状況ではなかったはずです。

それでも、理論よりも現実を信じ、行動の中から答えを見つけていく。その姿勢こそが、“哲学派な樋口”の真骨頂なのかもしれません。

 

不思議と回り始めた工場

 

不思議だったのは、工場立ち上げの会議に、樋口自身がほとんど出席していなかったことです。
4億円の現金を握りしめて、現地で実務を進めていたのは、現在もぎたて事業の代表取締役専務である上野拓朗でした。
いろいろあったそうですが、とりあえず工場は無事に立ち上がり、少しずつ確実に回り始めていきます。

こんな芸風ができるのは、大学卒業時に営業本部を開設し、新卒採用を始めたことで、言葉にしなくても意図が伝わる、いわゆる“あうんの呼吸”が通じる仲間が育っていたからだと、樋口は語ります。

 

“あうんの呼吸”が前提の経営

樋口が新卒採用を始めてから、まもなく30年が経ちます。
現在、幹部にはいわゆる“20年戦士”が9名ほど在籍し、それ以外も10年以上ともに歩んできた幹部予備軍は20名を超えます。

彼らは、樋口の好きな食べ物も、性格も、ここには書けないようなエピソードまで含めて、すべてを知り尽くした存在。
会話は「アレ」「コレ」「ソレ」で成立し、説明はほとんど必要ありません。

一方で、樋口は普段、意図的にミスリードを仕掛けることも多く、若手社員には本心が見えにくい場面も少なくありません。
ですが、彼らは“本当の樋口”を、きちんと理解していると言います。(できれば、あまりミスリードしないでほしいところですが……)

樋口は、この“あうんの呼吸”が成り立つことを前提に、事業戦略を描いています。そんな経営者は、なかなか見たことがありません。

その考え方の原点は、織田信長にあると言います。
信長は、身分や血筋ではなく、実際に街へ飛び出し、様々なやんちゃの中で人を見極め、身分ではなく息の合うつかえる人をどんどん登用しています。豊臣秀吉などがその代表例なのは有名な話です。

「これでいこう」
そう決めて新卒採用を始め、現在に至ります。

そして、その考えが間違っていなかったと確信できた出来事が、上野による「茨城もぎたてファクトリー」の立ち上げでした。

そして、樋口はいつもこういいます。“信用こそ全て”だと。優秀だから任せたのではない。時間をかけて培ってきた信用があったから任せることが出来たのです。

 

志が、人を動かす

2014年に茨城もぎたてファクトリーを設立。
続いて2015年に中津、2018年に三重、2022年に青森へと事業を展開していきました。
展開の理由は、どの地域でも共通しています。
「ここにビジネスチャンスがあるから」ではありません。
「やりたい!と強い意志がある」
そう思える人がいたからでした。

そしてその人の意志があるところに道ができる。樋口は、いつも「エリアはどこでもいい」と言います。大事なのは場所ではなく、人。
志を共にし、時間を積み重ねてきた人たちがいたからこそ、グループ企業の発展があります。

樋口が大切にしている言葉があります。

“志を立てて、以て万物の源となす”

どんな偉業も、すべては志から始まります。
「儲かるか?」ではなく、「未来をどうしたいのか?」理想を語ることで、未来はつくられます。

茨城もぎたてファクトリーは、そのことを最初に体現した場所でした。

そして、その志は今もグループ企業へと受け継がれ、やがてホールディングス化という未来へと、つながっていきます。

 

なぜこの構想は実現できたのか。

樋口は、自分が特別なことをしたとは考えていません。

「僕は、問題を立てただけなんです」

頭の良い人であれば、与えられた問題を解くことはできます。
しかし、農業の世界では、その“問題設定”自体が長年変わらないまま、解決されずに残り続けていました。昭和の大量生産・大量消費型でうまくいった教育システムにも、限界が来ているのかなと、ふと思います。

樋口は、経済同友会の農業改革委員会で10年以上議論を聞きながら、「なぜこんなに優秀な人たちが集まって考えているのに、この国の農業はうまくいっていないのか」を考え続けました。
優秀な人たちが議論し、政策を決め、実施している。それでも、なぜかうまくいかない。言っていることは間違っていないし、誰もが正しいと思うことばかりです。

そこで、ハッと気が付いたことがありました。

——そもそも、問題の立て方自体が間違っていたのではないか。

だからこそ、問題を解くのではなく、問題そのものを立て直した。

それが、この構想の本質だったのです。

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