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この、百年

[特別記事]-Road to the First Pitch- 「100年目のプレイボール」

取材・文:Dishes編集部

 

 

100周年スペシャルムービー「-Road to the First Pitch- 100年目のプレイボール」 動画はこちら

 

四日市市 富田。今は面影だけしか残っていないものの、かつて漁港であった町。おそらくは運河であっただろう場所は、今は車が通りやすいようアスファルトで埋められた広い道路となり、氏神のもとへと続いている。砂浜であったはずの場所は、コンクリートの港に姿を変え、眼前に広がる四日市コンビナートの礎となった。かつて、ここは漁師町として賑わい、多くの魚介が水揚げされていた。ヤマダイ食品の前身である、樋口卯十郎商店は佃煮屋としてこの地にスタートしている。100年前のことだ。

ヤマダイ食品グループが現在の基礎をなしたのは、創業から60年以上が経過したころ、冷凍技術と出会ったことにある。かつて20世紀の世界は技術革新に沸いた。食品の世界も目まぐるしく変わった。世界人口も狂乱のように増え、日本も例外ではなかった。どんどん食べ、どんどん作り、どんどん新しい技術を武器に市場が広がっていく。自ずと、富田に拠点を構えるヤマダイ食品の周りにも、生産者、機械を扱う方々をはじめとして、無数の仲間が広がっていった。この指導鞭撻がなければ、私たちの今はない。新たな出会いは増え、革新されている。この関係こそが、ヤマダイ食品グループのすべてだ。

2022年6月。ヤマダイ食品グループの代表樋口はアメリカ行きの飛行機の中にいた。スポンサーを務めているメジャーリーグベースボールチーム エンゼルスの始球式に行くためだ。ヤマダイ食品が同チームのスポンサーを務めたのは、新型コロナウイルス感染症のパンデミックが始まった年。2020年のことである。もともと樋口には「ニューヨークヤンキースのスポンサーになる」という夢があった。口にすることも恐れなかった。2017年、二刀流で知られる大谷翔平さんが海を渡った。日本人選手が所属すると日本企業に広告の口が増える。めぐりめぐって、メジャーリーグチームのスポンサーになるチャンスが訪れた。決して儲かっているわけではない。決して見栄を張りたいわけでもない。困難を選ぶという信念が作り出す未来の可能性を信じた、精一杯背伸びの投資である。ヤマダイ食品はニューヨークに続いていく道の第一歩として、エンゼルスのスポンサーになることを決めた。

「ヘラクレスの選択」という言葉がある。ギリシャ神話に出てくる英雄ヘラクレスは、古代オリンピックの象徴となった存在である。彼は、主神ゼウスに七難八苦の要望を出し続けられ、その度にそれに打ち勝ち英雄となった。この神話にならい、困難に満ちた道を選びそこを進む人々の選択は「ヘラクレスの選択」として称えられる。ヤマダイ食品は身の丈に合わない選択をすることが多い。”儲かっているらしい”という嬉しい誤解を産むことも多い一方で、英雄と言われることなんて皆無だが、それが私たちを磨いていくことを知っている。

スポンサーには始球式の権利がある。当初、2020年に予定されていた始球式が延期された。新型コロナウイルスの影響だった。しかしエンゼルスはしっかり権利を確保し、好きな日を選べるようにしてくれた。契約書にそんなことは書いていない。彼らの矜持なのだ。結果的に2022年のこの日に決まった。2021年はヤマダイ食品100周年の節目であった。その翌年、次の百年の始まりの年に始球式が行われることになったのは、偶然ではなかったと思いたい。結果、始まりの1年はアメリカの歓声で彩られることになった。

100年の歩みのすべては、振り返れば一本道である。前を向けば、未来には無数の道が分岐しているが、選んで進めば一本の道になるのみだ。この一本道は、一人で歩けるものではない。100年の間に出会った人々、企業の数を数えていけば、信じられないような数になるだろう。そのすべてが奏でる音が、スタジアムにこだまする万雷の拍手と歓声と重なっているようだった。ヤマダイ食品グループにとってのマウンドも、フィールドも、リーグも、このスタジアムにはないけれど、この景色は今、私たちが生きてるビジネスのフィールドを代弁している。

始球式movieはこちら

樋口はスタジアムにいる間、何度も「リアルに感じない」と話した。それは個人としてではなく、ヤマダイ食品に関わるスタッフ、関係者、そのご家族や、協力企業の皆さま、クライアントの皆様、そして私たちの提供するものを食し、ご満足いただき、支えていただいている数多の方々すべての代表としてそこにいるからだったに違いない。ただの器として、そこに”あった”だけに違いない。誰に打たれるわけでもない一投は、100年の思いを乗せた一球として、相手役を務めるメジャーリーガーのミットにおさまっていく。プレイボールの声がかかる。

大きな何か、しかし、確かにそこにあるものに支えられ、私たちはビジネスを営んでいる。それは、感謝という言葉ではあまりに軽く感じられるほどだ。次の100年に通ずる1投を樋口が投げた時、ヤマダイ食品にとって101年目の幕が開いた。今日も、昨日も、明日も、すべての関係者は動き、汗をかいて、社会のために尽くすことで糧を生み出している。記念日などなく、毎日が労苦の連続でもある。しかし、そうしたすべてを代表して、私たちヤマダイ食品がアメリカの地で、プレイボールの声を聞けたことには胸が震えた。ヤマダイ食品は生きていていいと言われたような気がする。あなたたちは役に立っていると。そうして、それを裏切らぬよう、前進させ、新しい社会の未来につなげ、新しい評価を紡いでいくよう努力していけと言われたのだ。

私たちは応えていかなければならない。

 

「この場を借りて、ヤマダイ食品グループに関わっていただいたことのあるすべての方々に、深く深くお礼申し上げます。同時に、新しい100年への歩みを、ぜひみなさまとご一緒に歩いて参りたいと思っております。出来うることを磨き上げ、新しい多幸をもたらす存在になるべく、ヤマダイ食品グループは前進してまいります。  ヤマダイ食品グループ 代表 樋口智一」

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