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この、百年

百瀬俊介 × 樋口智一 スペシャル対談 「扉を開く」

取材・文:Dishes編集部

メキシコの扉を開く。

百瀬俊介氏と樋口との出会いは、15年前に遡ります。たまたま樋口が通っていた美容室で「サッカーチームのスポンサーに興味あったりしないんですか?」という話で美容師と盛り上がったことがありました。というのも、そこは日本の現役プロサッカー選手の”キング”と呼ばれる選手が通っている美容室と同じだったことから、美容師もサッカーに造詣が深かったのでしょう。さらにこの時、たまたま”キング”本人が美容室内にいたという偶然が重なり、この話を耳にした本人がその場で「うちのチームの広報の人間を呼ぶからぜひ会ってみて欲しい」という話になったのです。こうして呼ばれたのが百瀬氏でした。

百瀬氏は、元プロサッカー選手です。と一口に言っても、その経歴はあまりにユニークです。小学校は野球少年でした。実は今でも、大の野球好きです。しかし地元の中学には野球部がなく、サッカー部に通うことになります。メキメキと頭角を表し、地元で著名なプレイヤーとなっていた中学3年の時に、父親からサッカーで食って行きたいのならメキシコにいる知り合いのところに行かないか?という提案があり百瀬氏も快諾。こうして百瀬氏は、15歳の時メキシコに渡ります。もちろん、外国語は一切分かりません。

すぐにメキシコシティでの生活が始まりましたが、所属したクラブチームはデボルティーボ・トルーカというチームで、バスを使って1時間30分の道のり。ユースチームに所属し、約1年この生活が続きました。この間にコーチの目に留まり、トルーカの寮に入ると同時に17歳でチームとプロ契約を結ぶことになります。非凡な活躍を見せていたのでしょう。これが、日本人初のメキシコリーグでのプロサッカー選手誕生の瞬間です。日本ではJリーグが立ち上がったばかりでした。

 

 

2017年2月。デボルティーボ・トルーカは百周年を迎えます。百瀬氏が所属していたのは24歳までの約7年間。トップチームには上がれなかったと言いますが、この一大イベントに招待されています。百瀬氏は「目立った成績を残せていない自分がなぜ呼ばれたのか?」という疑問を抱いたと言います。チームの返答は「メキシコにおいてもトルーカにおいても、日本人初のプロ契約を結んだ選手はモモセだ。我々はずっとファミリーだと思っている。」というものだったと言います。百瀬氏は、メキシコの国技でもあるサッカーが、いかに地域や国から愛されているのか、そしてプロサッカー選手という存在がいかに重要な存在なのかを肌で感じ感動したと語っています。

百瀬氏は現役時代、一時日本に戻りJリーグのチームに所属しましたが、怪我などもあり26歳で現役を引退します。引退後はメキシコに残り、食品商社などに勤務しビジネスのスキルを開花させて行きます。30歳を機に日本に戻り、そこで横浜FCの運営部長になりました。これが日本に帰国して最初の仕事でした。この時に樋口と出会い、ヤマダイ食品グループは横浜FCのスポンサーとなるのです。しばらくして百瀬氏は、横浜FCを退職したのちIT企業「CONNECT」を創業。さまざまなシステムエンジニアリングなどを手掛けるビジネスに加え、ITエンジニアの健康に留意した整体ビジネス、そしてかねてよりアスリートであった経験を活かしたマネジメントビジネスを展開し、現在に至っています。

 

アボカドの扉を開く。

ヤマダイ食品と、百瀬氏との繋がりに戻しましょう。スタートは横浜FCのスポンサーですが、その後決定的に関係が深くなる出来事があります。当時、樋口が思い描いていたのがアボカドを使った商品の開発にありました。20代の時にNYを出張で訪れた際、とあるメキシコ料理屋で出会ったワカモレが忘れられなかったのです。ワカモレとは、アボカドをメインに作られたサルサの一種で、青唐辛子、玉ねぎ、トマト、コリアンダーなど、それぞれお好みで混ぜられた調味料。各店舗ごと、ご家庭ごとに味が異なります。

何としてでも、このワカモレを作り上げたい樋口は、メキシコのアボカドを入手するためにさまざまな手を尽くします。しかし、あと一歩のところでアボカドが入ってこない。約20年間に及ぶアプローチが成功しないまま、かといって原因も不明のまま過ぎ去っていました。そこで、百瀬氏にふとこの件を相談したところ、メキシコでの豊富な人脈を活かしてすぐに解決してくれたのです。というのも、百瀬氏が最初にミーティングを設定した人間が、なんとメキシコの全国を束ねるアボカド協会会長その人だったわけです。以後、樋口と百瀬氏の関係が揺るぎないものとなり、現在に至ります。

特にこの10年は、双方のビジネスが大きく飛躍した時でもあり、関係もまたより深まった時だったと二人は語っています。中でも百瀬氏は、ヤマダイ食品グループ100周年に強い思い入れがあった言います。2017年にトルーカ100周年で感じた思いを強く呼び覚ましてくれたからだと語ってくれました。一方の樋口にとって、100周年というのは単なる通過点と考えていたものの、100周年の日を迎える1ヶ月前はえも言われぬプレッシャーを感じ、眠れないことがあったと言います。特にこの2年半、新型コロナウイルスの世界的なパンデミックとなり、ヤマダイ食品グループ全体のビジョンは大きく停滞しました。そうした状況も加わったこと、先人たちの蓄積の重さを肌で感じることができたこと、新しい未来を描くにあたりどのような行動が求められるのかといった、極めて複雑な要素が私たちの前に山積みだったからでしょう。

しかしながら、アボカドの扉を百瀬氏が開けてくれたように、新しい未来は常にそこかしこに扉を用意しており、いつでも私たちがそれを開けるのを待っているように思います。今回の動画を通して、両者の関係と、また、新しい未来を作り上げていくであろう未来の関係の両方を感じていただけるのではないかと思います。

 

スペシャル対談動画はこちらからご覧いただけます。

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