「おいしい」がすべて。
ヤマダイ食品の全ては「おいしい」をお届けするためにあります。「おいしい」ためには調味料や素材のコストを削ることはしません。むしろ、足すことの方が多いです。食材への思いもそう、作る人が安心できることもそう、売る人が自信をもてるかどうかもそう、工場の安全性もそう。そうした全部が揃わなければ「おいしい」笑顔は実現できません。アイデアだけでもダメ、行動だけでもダメ、全てが必要です。究極的に言えば、SDGsの全てに合致していても「まずい」では我々の存在意義はないのです。もっと「おいしい」を探求することが皆さんの笑顔を創り、必ず社会貢献につながるのだという強い思いと、環境にも配慮することになるのだという証明が重要です。そこをブレずに突き詰めていくことが私たちヤマダイ食品の在り方です。
現在、我々の最終的な味の決定は自分の仕事です。自身のトレーニングやメンテナンスは欠かしません。毎週のように「おいしい」お店に行って、とにかく「おいしい」を味わい、自分のコンディションを把握しています。どちらかといえば、素材を活かすよりも、味やレシピや調理法など様々な研究・工夫を凝らし「おいしい」を探求しようとしているお店に注目しています。様々な食材・調味料の組み合わせや、多層的な味の構築には、我々のヒントになる発想や手法が多いからです。しかし、社内における味のチェックが必ずしも自分でなければならないとは考えていません。逆に言えば、自分にもわからない「おいしい」はたくさんありますし、様々な「おいしい」がどんどん出てくるのを楽しみにしています。嬉しいことに、センスあふれる社員が一定数います。そう遠くない時期に未来を追い抜いていくことでしょう。
未来への対応。
私のヤマダイ食品におけるキャリアスタートは大学2年の時。飛び込み営業からスタートしました。当時、先代から飛び込み営業の指令を受け、安請け合いをしたのがきっかけです。「どんな偉業も最初は一人から始めたはずだから」という少々独善的な考え方をもっていた自分でもありました。知り合いナシ、何のノウハウもスキルもナシ、あるのは上場企業の情報が載っている「会社四季報」と名刺200枚のみでした。最初に悩んだのは、「私服でいいか?やっぱりスーツにすべきか?」。当時はITという言葉すらない時代、仕事をする=スーツを着るといった認識以外もほぼ存在していなかったころです。こんな認識の若者が飛び込み営業を始めたわけですから、いろんな珍事件が起きました。いま考えると無謀もいいところですが、その無謀さもまた今につながる挑戦だったともいえます。
大学3年の秋に訪米した際、運命の出会いがありました。それがコカ・コーラの本社で観た一枚の絵。まだアメリカ国内でしか知られていない飲料メーカーだった彼らが、地球にコカ・コーラを飲ませるビジュアルで世界に強烈なインパクトを与えた広告です。この広告により、世界展開への意思をステークホルダーに示した彼らは、その後世界に乗り出していきます。私が訪米した時のコカ・コーラ社は、もちろんすでに世界的な大企業でした。そのロゴを見たら全人類の80%がわかると言われていました。コカ・コーラ成長の物語を知った時は、ぼんやりとした可能性が確信に変わった瞬間でした。どの国のどの企業のどの経営者にも、等しく大きなチャンスがあるのだということを。そして帰国後、30年50年計画を作り、その実行に取り掛かったのです。
私たちは1980年に株式会社になりましたが、創業そのものは1921年(大正十年)です。結果的に100年やってこれた企業だというと、なんとなく順調に成長してきたと思われがちなのですが、歴史の大半は小さな個人事業です。日々どうやって生き抜いていくのかを考え続けた歴史の方が圧倒的に長い。本当の意味で現在のような法人になったのは、この二、三十年のこと。私が大学卒業時に営業本部を創ってから、採用は基本全て新卒。それを20年以上積み上げ、育ててきた人材が圧倒的多数です。この「若い層」が私たちの未来そのものだと考えています。感覚も、望んでいることも、時代が変われば全て変わる。それでも1998年から「30年後・50年後の未来」を考え続けて行動してきました。自分が社長となったまだ30年は経っていませんが、現在の姿となった我々は「これからの社会の主役」と共に成長し、引き続き30年、50年後の未来に向けて人づくりをしていきます。