MAIN DISH
あじわいの未来

「100年」の意味

取材・文:Dishes編集部

ヤマダイ食品グループのあゆみ

ヤマダイ食品グループは、小さな佃煮屋からスタートしました。創業の地は、三重県四日市市富田一色町。近くにある富田地区から分離した新開地です。富田一色港があったことから廻船業者が多く、八風街道が開通して、海上、陸上の交通が発達し大いに栄えていたといいます。その後、四日市の工業化が進む中で、土地柄何度も台風などによる水害被害を受けています。現代は、すっかり周囲を埋立地と工業エリアが取り囲んでおり、ひっそりとして古民家が立ち並ぶ風情あるエリアとなりました。100年前、この土地に水揚げされるさまざまな海産物を素材に、ヤマダイ食品グループの祖である樋口卯十郎商店がスタートしました。

目の前は海、周りは海鮮業者や漁師たち、鮮度の良い素材がどんどん水揚げされる土地だからこその「おいしい」を作り続けてきたのが、現在のヤマダイ食品グループの素地となっています。この流れは、扱う商品が「野菜」となり、加工技術も冷凍技術も保持している現在においてもなんら変わることはありません。むしろ、100年の味に対する経験の醸成は、より強く「おいしい」の作り方へと昇華されているのです。

 

「野菜」の力。

私たち人間が、歴史上最も長きに渡り、自らの手と自然の恵みを知恵に変えて作り続けているものが農作物です。中でも野菜の進化は、近現代において目覚ましいものがあります。大きいのは都市文化の急速な発達と現代化、さらには情報産業の発達にあると言えます。たとえば、都市は産業や政治の集約にともない、飲食などのサービス産業が集約されていきます。外部からも人が訪れる場所であることから、多様な食文化が融合していくことになります。さらに現代では、ネットをはじめとする情報産業の発達によって、誰がどこで何を食べているのか、また、食べたものが趣味嗜好にあっていたのかどうかという定性的な情報も、ビックデータとして可視化され氾濫しています。

かつてミシュランは、タイヤ事業者として車の普及を促すために、「遠出をしてでも食べる価値のあるもの」をガイドするためのミシュランガイドを生み出し、そこに味の評価を連携させるイノベーションを起こしました。これと同じことが、現代においてはそこかしこで行われています。当然、人々のニーズもまた多様化の一途となり、「味」のイノベーションへとつながっていきます。漁業、畜産、農業は、情報の氾濫に追随するようにして味わいの創造へとシフトし、そこにさまざまな技術が追随するようになりました。

こうして野菜の味わいも大きく変化しています。さまざまな土地でしかできない野菜の味わいはもとより、甘味、辛味、酸味、うま味といった、複雑な要素を強化したり、統合された豊かな味わいの野菜がどんどん生み出されています。ヤマダイ食品のみならず、多くの食品会社は、そうした素材を理解し、分析しながら、さらに多彩な味わいへと昇華させているのです。

 

100年の道

つまるところ、食品の美味しさというのは、結果的には総合力です。素材がかけても、調味料がかけても、製造工程がかけても、品質管理がかけても、営業がかけても、販売がかけてもダメなのです。逆に言えば、そのすべてが素晴らしいもので、さらに優れた調和が実行できればその味わいは無限に広がっていきます。どこかだけが突出し、一時的な美味しさが実現できても、明日にはなくなってしまうのでは人々のお腹は満たせません。食品を扱う企業には、持続可能であることが重要なのです。

ヤマダイ食品の最初は佃煮屋でした。海の産物を扱う事業です。そこから食品企業から下請け作業を行う受託事業へシフト。海産物に、野菜をはじめとする多彩な素材が加わりました。そして冷凍技術と出会ったことで、和の味わいをベースにさまざまな野菜を調理し提供する惣菜メーカーへと脱皮し100年の礎となりました。料理の味には、水、出汁、調味料など、さまざまな分野との連携が欠かせません。ここに、100年という実績の積み重ねと、三重県四日市という港湾地区ならではの文化性が生きています。そして、作り上げたネットワークが素材の安定した供給を実現してくれます。安心・安全であることと、よりおいしいものであること。この2つから意識を変えない「あじわい」を作るために、私たちは今日も妥協のない1日を送っています。

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