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-第5回- 名古屋へ

名古屋駅太閤口から徒歩5分、四日市の営業所を名古屋に移転した時いただいた贈り物は、天井まで届く高さで3列に及んだと言う。四日市のビル戦略から3年、ヤマダイ食品は目覚ましい成長を遂げつつあった。しかし、順風満帆というわけではない。この時、最も苦しんだのは「社名を知られていない」という事実であった。どこに提案しても「ヤマダイ食品」を知っている人間や会社がない。とはいえ、なんでも最初はそうであるし、別段言い訳にするようなことでもなかった。

 

“おくら”のヤマダイ食品。

ヤマダイ食品のことを誰も知らない。逆に言えば、可能性しかないとも言える。獲得できた案件の数だけ、我々は成長できるということであったし、それ以下になる心配もなかった。特に、味には自信があった。品質にも自信があった。それであれば、試していただき、提供し続けていけばいいだけのことである。名古屋に進出した当時のヤマダイ食品には、信じられないほどの熱量があった。苦労は多かったが、それは同時に高揚感でもあった。別段苦しい道のりではなかった。

工場への投資は徹底してきた。どんなにフロントががんばっても、味や品質がダメになれば戦えないからである。本社工場はすでに古い。とはいえ、中身には自信があった。ユニークな方法、機材、人員など、今なおヤマダイ食品の本社工場はゆるぎない牙城である。さらに2020年には、完全新築の新設備満載の東員工場も立ち上げた。今なお、工場投資へは余念がない。

話を名古屋進出時に戻す。となれば、当面の課題は営業効率の向上と、新しい顧客とのリレーションにある。そこで、我々が考案したのが素材をフックにした企業認知の工場であった。調べに調べた結果「おくら」につよい食品メーカーが見当たらなかった。以後、我々は何を売り込みにいっても「おくらのヤマダイ食品です」ということを徹底して言い続けた。結果、この認識が広がり、ヤマダイ食品は業界に小さな居場所を認められることになった。

 

自由と制約。

ヤマダイ食品の営業スタンスは自由である。スタッフも若い。基本全て新卒採用だけでほとんど中途採用がない。これは、現在の樋口が代表になって以降、基本的に変わらない人材採用の哲学である。誰が言ったか定かではないが「若者の決断はすべて正しい」といった趣旨の言葉がある。これは、若者の意思決定のレベルを指しているのではなく、若者は未来の主力であることを意味していると考えられる。ヤマダイ食品の骨子はここにもある。若者が信頼を得るのは並大抵の努力ではできない、しかし笑顔を獲得することは難しいことではない。自分達が未来を作るのだと思った時の熱量は、極めて大きい。

名古屋へ進出した時、代表の樋口は20代後半であった。小さな所帯であったが、若者たちのモチベーションは高く、力強かった。この時点で、創業から数えれば80年以上が経過していたが、会社はその歴史の中にあって特に若さに溢れていた。業界の規模や範囲が制約になるのではない。制約は、私たち自身が作り出すものである。そういう面において言うならば、確かにヤマダイ食品が名古屋に営業所を構えた時は制約の中に力強い自由であった。

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