富田一色町。1600年前後、富田一色港を中心に新開地として開かれた地区でである。その後、八風街道が開かれたことで、海路と陸路の要衝として、廻船業者や漁師町として栄えた。現在は、すっかり様相が変わったものの、古い古民家が立ち並ぶ風情ある歴史地区の佇まいとなっている。この土地でヤマダイ食品の前身である、樋口卯十郎商店が誕生したのが今から100年前。そこからの四日市近郊は目まぐるしい時代の潮流とともに歩んできた。
近代工業化の流れ。
決定的だったのは近代工業化の流れだっただろう。巨大な港湾部を有していた四日市の性格を決定づけた。特に、渋沢栄一が起業に携わる東洋紡績の存在は大きく、富田一色の港においても、大規模な改修を行うに至る。以後、四日市の工業化は急速に進んでいった。現在、四日市の港湾部には巨大なコンビナート群が林立している。主に石油の製錬所である。今、四日市の昼と夜を司るのは、ここから上がる煙。現代社会を根底から支えている電力エネルギー、産業エネルギーの礎がここにはある。
一方の、古くからある地域はさながら沈黙を保っているかのようだ。勃興するさまざまな産業によって変遷する四日市を見つめてきたこのエリアは、静かに佇んだままである。樋口卯十郎商店もまた、長きにわたって同じ思いではなかっただろうか。
人間のエネルギー。
人間のエネルギー源としてのカロリーや栄養を支えてきたはずの「食」。四日市の変化は同時に、全く新しい食文化の波も引き寄せたに違いない。地元の人々でランチがにぎわっていたため、編集部がふらりと立ち寄った近鉄四日市駅前の「ちゃん」では、トンテキとラーメンの定食が人気であった。地域で愛される洋菓子店「タンブラン」には瀟洒なケーキが並ぶ。海鮮も豊富で、繁華街として知られる四日市一番商店街には、多彩なお店が軒を連ねている。すべては、四日市の歴史の蓄積の中で生まれた”あじわい=風情”である。
確かに、対岸のコンビナートを眺めながら、現在の富田一色の中にいる時に感じるのは静けさではある。しかし、地面の下を脈々と流れる矜持のようなものがある。神社にも、神社の前に現れる幅数十メートルはあろうかという巨大な大通りにも、残滓のように残っている。それこそが、ヤマダイ食品に流れている系譜ではないか。社会に対して豊かな味わいや栄養を、高い品質で届けていくのだという意志に見えるヤマダイ食品グループの姿は、現代の四日市が社会に供給する「食」のエネルギーなのであり、若々しい力なのである。