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コロナ特集

品質管理・保証部×商品開発部

新型コロナウィルスの感染拡大により、売上が大きく減少したヤマダイ食品、当時苦しい思いをしたのは営業だけではありませんでした。商品を生み出す根幹にいる品質管理・保証部、商品開発部も、商品が売れない上に工場の稼働率も低下する中で、とにかく売れるものを世の中に生み出そうと奮闘しました。当時、“今出来る事・やるべき事をやろう”と動き続けた品質管理・保証部の松山、商品開発部の伊藤の2名を招き、当時の状況やコロナ禍がもたらした影響、また今後の課題まで赤裸々に語っていただきました!

 

とにかく“今”必要なものを生み出す。

コロナ禍の1年間で200アイテムの商品を作った、とお聞きしました。当時の状況を教えてください。

松山:コロナ禍の2020年は200アイテムを出しましたが、この数は(当時のヤマダイ食品の商品アイテム数の)2倍だったんですよね。出した商品のほとんどが短命で終わるんだろうなってみんな分かっていながら、言ってしまえば乱れ打ちで狙いをつけずにとにかく出していました。実際にほとんどが今は残ってないですしね。アイテム量は増えたとはいえ正直全然対応できない範囲ではなかったので、多分開発の伊藤君の方がきつかったんだろうなって思います。僕は来た仕事全般に対して、感情を無にして処理していくっていう感じでしたね。

  

短命で終わると分かっていてもとにかくたくさん商品を出したのには、理由があったんでしょうか。

松山:コロナの時って工場も止まっていて、営業も半分ぐらい休業だったんですよ。でも給料が発生してるので、“目の前に仕事がある状態をとにかく作らなきゃいけない”ていうのだけ僕の頭にありました。なので短命を迎えるかもしれない商品であっても、目先売れる商品、欲しいって言ってくれるお客さんに対して商品を作っていこうと考えていました。何かあたればラッキーみたいな感じだったと思います。

 あとは当時やるべきことと、もうこれはやらないって決めることの取捨選択はいっぱいありました。それが功を奏したのかなという部分はあります。

 

-伊藤さん、当時の開発部の状況はいかがだったでしょうか。

伊藤:本当は思い出したくもないぐらい毎日悲惨でした。というのも、今は週に1回開発試食会(樋口会長に試作品を試食してもらい、商品の方向性を決める会議)があるんですけど、コロナ禍は毎日試食会がありました。なので毎日工場に行って、試作し試食会をしてまた試作して…というのを繰り返していました。だから正直良くない事だとは思いますが、その期間は淡々と作らないといけないものを作ってという日々を過ごしていました。今だと今後のヤマダイの主軸になっていく商品を考えて開発していくのですが、当時はもう今出して今すぐ少しでも売り上げになるものを作るという事に着目していました。

 ただそれがあったので、1年で200品という商品数が出せたと思います。もちろん作ったもの全部が商品としてリリースされるわけではなく、試食会で駄目なものは改良を繰り返してたので、一番大変だったのが特に2020年の2月だと思います。

急激な需要の変化に即対応。

-どのような商品がこの時期に増えたのでしょうか。

伊藤:YKの商品(保存料を使用し、常温での販売が可能な商品)が一時的にすごい増えました。当時やっぱり外食業態がすごい打撃を受けたので、当然外食業態からの発注というのは少なくて、それに代わってスーパー含め量販店さんからの特に弁当・中食の需要が増えました。実をいうと、コロナ禍に入る前までは保存料を使うのはやめましょうっていう方針で進んでたんですけど、とにかく会社として存続するために今までの頭を1回全部リセットして、当時求められていた弁当用のYK商品を作るっていうのにこの期間は特に力を入れたかなと思います。それによって、この期間はYKの商品をたくさんできました。

松山:市販用化も進みましたね。業務用の商品を市販化していきました。あとはコロナ禍の打撃を受けた外食業態のお客様に向けては、それまでの1kgや800gの規格では使い切れないという声が多かったため、ハーフ規格を製造するようにしました。200品のうち8割ぐらいはそれで埋まっちゃうような感覚ですかね。ただ、規格を変更するといっても結局1からですから、作業量としては新商品を作るのと多分そんなに変わらないんじゃないかな。

 

 

コロナ禍がもたらした良い変化。

-コロナ禍を経て、大きく変化した事はどんな事でしょうか。

伊藤:コロナ禍でスピード感が身についたと思います。実際コロナが明けてからも、商品のリリース頻度がコロナ前までに比べて上がっていますし、お客さんから言われてから作り上げるまでのスピードも上がってて、そこはコロナを経て大きく変わったことの1つかなと個人的には感じてます。

 あと1回の試作の精度も昔に比べるとだいぶ上がったかなとは思います。こういうものを作りたいって思ったときに、コロナ禍の蓄積されたデータがあるので、以前より早くなりました。開発部全体としては、工場で試作をするときと、事務所でデスクワークするときをはっきり分けて集中してやるようになったと思います。

松山:コロナ禍で強制的にデジタル化していったとすごく思います。実は僕は日報のシステム導入を同時進行でやっていて、どちらかというとそっちの方が大変でした。(コロナ禍システム導入についての記事はこちら)かなり前から業者選定や資料の確認等をずっとやっていたんですけど、営業が出社できなくなった時に樋口会長から声を掛けられて、実際の導入が始まりました。これによって内部的にかなりシステム化が進んで、逆に変われていないところはどんどん淘汰されていったんだろうなと思います。

 

“これから”が、実力勝負。

-コロナが流行ってからいつまで続くかも分からない状態だったと思いますが、そんな中、だんだん売り上げが下がってきて、会社に対しての当時の感情などは覚えていますか。

松山:会社が潰れるかどうかに関しては実は全く心配してませんでした。当時すごく調べて、国からの補助金がすごい手厚かったので大丈夫だと思いました。取り乱さずにちゃんと整えた状態でいけば、そのうち終わってるだろうなっていうのは早い段階で多分わかってましたし、多分樋口会長もわかっていました。コロナが終わって回復してきて、国の補助も必要ないよねってなった今後の方が、本当に実力勝負になってくるんで、今からが本番だと思ってますかね。

伊藤:会社が存続するか、ていうのは松山さんと同じで心配はしてなくて、それよりも初めの方は自分の方が保つのかなっていう方が、割と考えてはいました。いざコロナ禍が明けてみると、今の方が大変だなと感じている事が多く、多分これからの方がきっとより大変なんだろうなと思っています。あのとき経験したことっていうのが自信にもなると思うので、あんまり当時のことをすごい大変だったと思わないようにはしたいです。

 

-お二人ともこれからが本番という事ですね。これから挑戦していきたいなという思いや考え、今後の課題などはありますか。

松山:コロナが始まったのと東員工場が出来たのがほぼ一緒の時期で、東員工場って人はカツカツなんですけど通常の業務量の倍以上働いてもらっているのに、工場自体の稼働率は50%いってないんですよ。人がいなくて、ラインが動かせてないという問題があって、それを何とかしなきゃいけないなって思ってますね。

伊藤:今でも変化はあるんですけど、「野菜を使った冷凍の和惣菜を作ってるヤマダイ」っていうところから、もう変わるのかなと思っています。今後は会社の規模も大きくなってくると思うので、「冷凍」と「惣菜」の二つの特徴だったものっていうのから、またちょっと別のカテゴリーに行くのかな。なので冷凍だけじゃない温度帯の開発をしていたり野菜が得意だから野菜ばっかりっていうわけには絶対いかないので、今後はそういう今までにない商品の開発に力を入れて、広げていこうかなと思ってます。

 

社会活動が停止するという未曾有の事態の中で、とにかく売れるものをと1年間で200品の商品を出し、さらには拡大した販路に応じた今までになかったような新商品まで生み出されました。また、システム化、作業スピードと精度が上がるなど、新型コロナウィルスが私たちに与えた影響は悪い事だけでなく、今後さらに発展していくために必要な成長をもたらしました。そして苦境を乗り越えたお二人には、今後やるべき事がはっきりと見えています。竣工してすぐに新型コロナウィルスの影響を受けた新工場の稼働率を上げることや、幅広い業態や需要に対応できる商品の開発、二つの違う視点で、ヤマダイ食品としてさらに広い世界へ「おいしい」を生み出そうと奮闘を続けていきます。

 

 

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