本メディアではこれまで、コロナ禍に直面した当時の想いや、そこからどう動き、どんな未来を見据えているのかをお届けしてきました。(記事はこちら)今回はその続編として、新型コロナウィルスの感染拡大で営業停止を余儀なくされたお客様が多かった中、「なんとか売上をつくろう」と奮闘したカスタマーインサイト事業部(以下CI事業部) にスポットを当て、現部長職3名のクロストークをお届けします。
2020年春。全国に不安が広がり、街から人が消えたあの頃。ヤマダイ食品も例外ではなく、売上減少の危機に直面していました。出社制限に、商談の激減。誰もが「どうなるんだろう?」と先の見えない状況に立たされていた時――動き続けた人たちがいました。
今回は、当時営業チームの第一線で奮闘していた石川・鈴木・藤野に、当時のリアルな現場、今だから言える失敗談まで、赤裸々に語って頂きました。
石川(名古屋支社勤務、みえきたもぎたてファクトリー所属)
2006年入社。スーパーマーケット業態をメインに担当し、独自の営業スタイルで数々のヒット商品を生み出す。
鈴木(福岡支社、中津もぎたてファクトリー所属)
2006年入社。コロナ禍当時は福岡支社で奮闘。現在は仕入業務をメインに行う。
藤野(東京本部勤務)
2009年入社。首都圏だけでなく北海道エリアまで担当し、大手取引先との関係構築をリード。
-コロナが発生した当初、会社や営業活動にどんな影響がありましたか?
藤野:ホテルや外食業界の休業が相次ぎ、商談がどんどん減っていきました。コロナ前、10件電話して3件から5件アポイントが取れていたところが、コロナ禍では1件取れるか取れないかぐらいになりました。「これはまずいぞ…」と思っていた時に、社内で「スーパーは需要があるらしい」と聞いて、「やるしかない」と思ったのが最初です。でも、それまでスーパー業態をほとんど担当してなかったので、完全に手探り。先輩たちの提案書を参考に、最初は見よう見まねで試行錯誤をしていました。
石川:僕はもともとスーパー担当だったので、影響は少なかったです。むしろ、外食やホテルが弁当を売るようになって、様々な業態で“常温商品”のニーズが増えた。それに応じて、ヤマダイでも常温販売が可能な惣菜「YKシリーズ」のラインナップを拡充していきました。
鈴木:僕は当時、直接の担当はなかったので、営業チームの後輩のサポート役として動いてました。商談先も限られる中で、スーパーや家庭用商品のお客様への同行が増えましたね。
とにかく新規営業!担当なんて関係ない。
-多くのお店が休業し商談の機会が減っていく状況の中、どうやって商談を取っていったのでしょうか。
石川:担当エリアとか関係なく、新規営業をしまくってました(笑)。コロナ禍だったからこそできたことですよね。それまでは「自分のエリア内で提案するのが当たり前」だったのが、東京の商談を名古屋の営業が担当、みたいなこともコロナ禍を経て当たり前になりました。それぞれが範囲を広げて提案活動をしたことで、大手企業さんでの採用が決まりだした気がします。
藤野:それに僕は当時ヒヤヒヤさせられていました(笑)名古屋の営業の後輩から「藤野さんの担当のお客様、私提案してきてもいいですか!?」と電話が来て、「いや自分でいくから!!」とかなり焦ったのを覚えています。いい意味でお尻を叩いてもらっていたと思います。あとは毎日新しいことをする、と決めて、新しいお客さんや業態に提案したり、とにかく今までやってなかった事をしようというのを実践していました。
失敗が大きな経験に。
-色々な挑戦をしていた時期だからこそ、あの時は正直焦った…というエピソードはありますか?
藤野:ありますね。大手スーパーさんで市販冷食を販売させていただけることになって、製造まで終わっていたのに…出荷直前で「裏面にお問い合わせフォームがないと販売できない」と発覚。絶望しましたね。それまでヤマダイは市販の販売をほとんどやったことが無かったので、完全に盲点でした。急遽、2泊3日で名古屋へ行き、名古屋支社の営業メンバーにも手伝ってもらって、倉庫で5〜6人でひたすらシール貼り…。なんとか間に合って販売をすることが出来ました。
鈴木:今思うと…あの時やってたこと、全部失敗してたかも(笑)でもそこから、これまでの常識にとらわれる必要がないという事に気づいたり、“学び”が多かったです。
石川:あとは、後輩が採用を決めたはいいものの、売れ残ってしまって、そのフォローで右往左往したこともあります。思い返すと、毎日何かしらトラブルと戦ってました(笑)。コロナ禍で関係が出来た大手外食チェーンさんで、コロナ明けに採用が決まったのに欠品してしまって…予測を立ててたのにそんなことになり焦ったこともありました。

“ご縁”と“偶然”がつないだ、新しいチャレンジ
石川:コロナ禍で開発をした巻き寿司の巻き芯は、過去にご縁のあった方にコロナ禍でたまたま連絡したことがきっかけでした。2009年頃から取引を開始した企業の方で、ずっと東京にいらっしゃたのですがコロナ禍で東京から名古屋に戻られてて、その電話から再会し、商談が決まりました。運と言えば運ですが、声をかけなかったら何も始まっていなかったなと思います。
この商品は当時では大きな挑戦で、これまで惣菜メーカーとしてやってきたヤマダイ食品にはなかった概念だったので、形にするのが大変でした。1つの商品に対して関わるメーカーさんが多く、それぞれの要望があるので、それを全部調整するのに骨が折れたのをよく覚えています。でも、その時の経験があってこそ、どんどん商品のバリエーションを増やすことが出来るようになったのだと思います。
藤野:僕も、巣ごもり需要もあってか冷凍食品の取り扱いを強化していたお客様に、ある問屋さんがヤマダイ食品を紹介してくださって…1年半かけてようやく採用が決まった案件でした。タイミングと人のつながり、どちらも“運”でした。
鈴木:タイミングといえば、東員工場が出来たのも大きかったと思います。総工費約25億円をかけて新たな東員工場を竣工した直後に訪れた新型コロナウイルス。一見最悪な状況だったと思われがちですが、実は市販向け商品や今までできなかった製造ができるようになって、商品ラインナップや提案、会社として出来ることの幅がぐっと広がりましたね。
気づけば、顧客数が2倍に。
コロナ禍を経て、現在ではヤマダイ食品の顧客はコロナ以前の2倍へと大幅に拡大しました。更に、当時では商談することも叶わなかったお客様との取引が実現しています。
―顧客が2倍になった要因を、お三方はどのように分析しますか?
石川:あの頃はとにかく、お客様の方を見て、全員が“何とかしよう”と動いてました。その結果が今出てきているのだと思います。
藤野:コロナを機に、日報がシステム化されて、報連相の頻度と質が上がったのも要因の一つだと思います。担当外のエリアや、違う支社の営業メンバーの商談情報や成功事例がリアルタイムで確認できるようになったので、「負けたくない」と思う気持ちが生まれて、互いに良い刺激になりました。
鈴木:僕たちは、それまで「ヤマダイ=野菜を使った和惣菜」みたいな枠を作っていたと思います。でも、コロナ禍で今まで提案してこなかった業態にもトライするようになって、商品のバリエーションも広がり、売り先が広がったのも要因だと思います。
未来に迷ったら、“まず一歩”
業務用商材を主に取り扱うヤマダイ食品は、コロナ禍で様々な飲食店が休業となり、売り上げが減るだけでなく、提案の機会さえ減少するという危機に直面しました。そんな中、最初に「当時に比べて顧客が2倍になった」と聞いたときは、その裏側にどんな物語があるのか、想像もつきませんでした。ですが取材を通して見えてきたのは、華やかな戦略や派手な成功ではなく、「とにかく動く」「失敗してもまたすぐに挑戦する」という地道な挑戦の連続でした。
今笑って当時を振り返ることが出来るのも、「やれることを全部やった」という自負があるからこそなのではないかと、今回お三方のお話を聞いて思います。ひとえに「とにかく新規営業をやる!」と言っても簡単ではなく、「こんな状況の中どこに提案したらいいんだ?」と不安が大きかったでしょう。ですが、思いもよらない出会いや出来事が起こった。そして幸運の女神がほほ笑んだ。幸運の女神様は勇気をもって行動する人がお好きなようです。
何を信じて、どう行動すればいいのか――多くの人が戸惑い、立ち止まるような時期でした。感染への不安や情報の混乱、そして続く行動制限。先の見えない日常が私たちを包み、社会の仕組み・人との距離感も大きく変わる中、ヤマダイ食品のメンバーは「まず動く」という選択をしました。その一歩一歩が、少しずつ運を動かし、ご縁になり、今の成長をつくりました。
「失敗したらどうしよう」と迷うことは誰にでもあります。でも幸運の女神様に抱きしめてもらうには――“勇気”と“行動する力”が不可欠なのです。コロナ禍という未曽有の危機の中で積み上げられた成長は、平常時だったら何年かかるのでしょうか。取材を通して、この時にこの経験を出来なかったことが、少し悔しいと感じました。あの時、迷いながらも動き続けた人たちだけが掴めたものが確かにあったのだと思います。