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外食の未来

グローバリズムと外食。

食材とグローバリズムは数千年間の人類史において切っても切れないお話です。たとえば、ヨーロッパの食文化の源泉の大抵はローマ帝国にあると言われます。つまりイタリアです。ローマ帝国と一口にいっても、古代ローマの建国である紀元前753年から滅亡まで1200年間もあります。中でも特に栄えたと言われるのが今から約2100年前からの約400年ほど。空前の繁栄を謳歌します。同時に、イタリア料理はヨーロッパを席巻していくことになります。当然、食材の流通も地域全域に及ぶことになります。また、さまざまな交易が行われ、多様な国家の商人たちが入り乱れていくことで外食も多様を極めていくことになります。外食、食材、グローバリズムは三位一体であったと言っても良いでしょう。もちろんこうした流れは、ローマ帝国に限った話ではありません。シルクロードしかし、中国しかり、インド然りと、世界中どこにでも類似の現象が見られます。

現代におけるグローバリズムは、その規模、スピード共に圧倒的です。ここに、冷凍/冷蔵技術や加工技術、熟成、飛行機や船などの装備の充実、移動の高速化など、複雑な工業進化を武器に、食材もまた数日もあれば地球上を駆け巡れるようになりました。さらにいえば、経済の発展は歴史上空前と規模となり、そこかしこでさまざまな文化的背景を持った人々が、異国の地で外食を楽しんでいます。それらは混ざり合い、新しい味を生み、さらに進化し続けています。

そこにやってきたコロナウイルスによる世界的混乱や、世界各地で勃発している紛争による混乱、さらには気候変動による想定外の連続は、食の世界においてもこの数十年間存在しなかった課題を突きつけています。もし仮に、世界が閉じていく時、味わいや食材はどうなってしまうのか。自給自足が重視された時、この数十年で芽吹いた異国の味わいと素材は、焼失してしまうのか。では、現地に行くにも「平和」であることが「観光」の前提となっていたことから、「戦時」になった時に我々は現地に行く、または、いつでも行ける、という可能性を保持できるのか。もちろん、希望は再び世界がつながっていくことですが、正直まだまだ、この未来への視野は濁ったままではあります。

しかしそれでも、食材は今目の前で成長し、生産者たちの努力は止まることなく、新しい味わいを待っていることに変わりはありません。新しい技術も次々に生まれ、新しい体験を欲する人々が失われることもありません。仮に、グローバリゼーションが不確実なものになったとしても、我々の食に対する好奇心が損なわれることはないでしょう。すでに、世界は開かれているのです。ニーズがなくならなければ、応えていくサービスが失われることもまたないのだと我々は考えるべきです。

これはつまるところ、どんな状況下にあっても人々の生活は無くならないのだという普遍的な事実でもあります。人は生きていくには食べなければなりません。すこしでも良い栄養は、すこしでも良い味で楽しみにたいという根源的な欲求は、人類最大の欲求の一つだと言い切ってもいいでしょう。だからこそ、食を作る仕事はなくならない。どの国でも、どの地域でも、どんな人々にも通じる「おいしい」を作り続けることは、間違いなく「善い行い」であるということに違いはないのです。

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