2023年、それまで食品しか取り扱いのなかったヤマダイ食品のECサイトに、オーガニックコットンの製品が登場しました。
その気持ちよさの虜になる社員が続出の中、“なぜ食品メーカーにオーガニックコットン?”と、何もかもが謎に包まれていました。今回はその謎を明かすべく、弊社とコラボさせていただいているアパレルブランド「VIRI-DARI deserta」(ヴィリダリ デセルタ)」を展開する有限会社SDIの代表 渡邉 俊介氏を迎え、弊社代表の樋口との対談が実現!我々編集部も知らなかった、出会いのきっかけから、渡邉氏のオーガニックコットンへのこだわり、渡邉氏の人物像、今後の展開まで…お二人に赤裸々に語っていただきました。
渡邉氏と樋口との出会いは…ピッチの上!?
編集部:そもそもお二人は、どのようにして出会ったんですか?
―それがすごい話で…某コネクトの百瀬俊介氏(100周年の対談に出演→対談記事はこちら )による紹介がきっかけだったんです。
コロナ前まで彼の誕生日に”モモカップ”っていうフットサルの大会をやっていたんですよ。で、そこに僕は百瀬チームで呼ばれていくわけ。ゲストで来てくれって。それまでスケジュールが合わなくて行けなかったんだけど、たまたまいった年に毎年出てるヤマダイチームがあって。「俊、そういえば俺が親しくさせてもらってるところの会長が三重県の四日市出身の人やで」って言うから、えー、そんな人いるんですか。紹介してくださいよって言ったんですよ。それで紹介していただいたのが樋口さん。
だから、1番最初に出会ったのは、実は事務所でもオフィスでもどこでもない、ピッチの上だったんですよ。
2018年、まさかのフットサル大会で出会ったお二人は、同郷である事をきっかけに関係がスタートしました。そこからヤマダイ食品とVIRI-DARI desertaはコラボし、“四日市のご近所プロジェクト”としてオーガニックコットンのタオルを製作することになりました。
とことんええもの
樋口:このタオルがほんとにすごいなと思うのは、女の子が気に入るんですよ。 そのタオルじゃないと嫌ってなる。
「樋口さん、ちょっと6枚ぐらい欲しい」って、その後家庭のバスタオルの総入れ替え…というのが、時々あるんですよね。あんな気持ちいいものはないって、まずはもらったら枕の上に引いて、それから洗って、体ふくバスタオルにっていう流れがあるらしいんです。オーガニックコットンを販売するメーカーは世の中に数多くあるけれど、VIRI-DARI desertaのものは何が違うの?
―やっぱり製造工程で差が出るんです。
例えば僕らが今VIRIDARIでやってるタオルはインドの原綿なんですけど、糸じゃなくて、原綿ごと日本に持ってきて、こっちで特殊な紡績をするんですよ。糸を作るんです、原綿から。ようは撚糸って呼ばれるんですけど、これが少なければ少ない方が糸としては柔らかくはなるんですが、不安定なためケバが出やすくなるんですよね。なので、タオルだと14番単糸は結構あるんです。うちは今まで16番を使っていたんですけど、20番で甘撚りにした方が風合い出て、給水性も出て、長持ちするっていうのもわかって、20番に変えて、究極のところまでやったのが今のタオルです。
樋口:なるほどね、VIRIDARIのタオルってたしかに前とちょっと変わったよね。
―前から樋口さんは気づいてくれてましたよね。
樋口:普通に売ってるタオルって最初触って柔らかくても、洗うとごわごわするものもあるよね。でもVIRIDARIのはそうならないのはなんで?
―実はタオルって販売時の手触りを柔軟剤で柔らかくごまかすことができるんです。お客さんって買うときに触って柔らかいタオル買いますよね、でも4,5回洗ってごわごわになってからしか吸水性を発揮できない。それって糸の本来の良さを出せてないんですよ。コストをかけてでも、最終仕上げで柔軟剤をほぼ使わずに風合いが出せるものを作りたいって開発しました。あと僕は 、繊維の仕事を全部社外の人たちから学びを得て、超一流の人たちと一緒にやってきたっていうのがあるんで、その人たちの顔に泥を塗りたくないわけです。だからね、僕がどうせやるんやったら、とことんええものをやりたい。
”超一流”から得た感性
樋口:なんでオーガニックコットンをやる事にしたの?
―起業した会社のビジネスを続けていく中で、不況で売れなくて負債を抱えるんですよ…
そんな中生き残るために、今後の社会とか未来に対して何か1つコンセプチュアルなものを持っておきたいと思って、”社会性”を重んじたんです。自分がいいものとして提供していたコットンが、実は環境問題や人権問題とかいろんなことに深く関わっていることを知って、そこからどっぷりオーガニックコットンにはまるわけですよ。当時、2000年初期頃はオーガニックコットンって『ダサい、 高い、使いづらい』っていうイメージだったんですけれど、そうじゃないっていうことを広めたかったんですよね。
樋口:その感性ってどこで手に入れたの?
―一つあげるなら、26、7歳の時の経験が大きかったですね。当時、僕をかってくれた凄い方がいて、その人のおかげでニューヨークやパリへ行ったりして、海外ブランドの仕事に携わらせてもらいながらデザインとか色とか学んでいったんです。そんなに収入がない中で、一緒に来いと言われ、訳も分からず「行きます」って言って、普段泊まっているプチホテルを1日だけ抜け出して余分に自腹で高級ホテルに泊まって、高級フレンチに行って飯を食う。そこで初めて フランスのいわゆる富裕層のなんやこれってやつを知って、「お前がやってる仕事っていうのはそういう人たちのものだから」ということを暗黙で教えてくれたんですよね。ただ、一晩で30万ぐらい使うんで、帰ってから大変だったんですけど…それも経験なんですよね。
樋口:なるほど、一流ではなく”超一流”の経験をしての感性なんだ。僕ね、(渡邉氏と)お会いして話していく中で、野心家やなって思ってる。ここは結構努力しないといけへんよねっていうところに今の自分をどう近づけるかっていうアプローチがあると思うんです。今っていうよりは、どちらかというと見てる世界が将来に対して結構攻めてる。
―根拠はないですけどね。でも、今言われてすごい腑に落ちるのは、誰かから言われて何かするっていうのはあんまりなくて、目指すところに自分を持っていきたいという欲がサッカーをやっていた時から強かったのかもしれないです。
勝ちへのこだわり
樋口:もともとはサッカー選手だったんだよね?
―そうですね。高校卒業してからすぐ単身でドイツに渡ったんで2年半ちょっとの間プレイしていました。1998年にドイツが東西ドイツになった後、外国人に対してのイメージが厳しくなってきた時に突然、2年半後にはビザが発行できないっていう通達が来たんです。残る術は、大学生になるか、企業に就職するか、プロになるかっていう、その3択で…当時は、所属してたチームでやるのが僕の実力だったんで、1998年の9月に帰国して、22歳で引退を決意しました。その後起業をしたんです。
樋口:ご実家の寝具メーカーを継ごうとは思わなかったの?
―実家は寝具業界のOEM製造メーカーだったんですけど、まず僕はホームファッションという世界を知らなかったわけです。(海外に)行ってこいって送り出してくれた父親が、すんなり自分の会社に受け入れるかって、もちろんそんなわけないですし、僕も別に父親の会社に入ろうと思ってなくて。ただ、自分の人生が何億円プレイヤーになって帰ってくる予定が、0円プレイヤーになって帰ってきちゃって…さあ、どうしようかなって。そこで、寝るもののOEMがあるなら、パジャマやルームウエアなどの着るものもあるだろうという事でまず会社を立ち上げ 、営業活動を始めました。
樋口:起業してから大変だったことは?
―当時は現役引退したばっかりで、ロン毛茶髪でピアスも空いてたんですよ。見た目がチャラいわけです。まずそれを注意されたりしました。
最初に商談に行くと、「お前、俺と商談するのに、そんななんも知らんのに、100万年早い!」ぐらいの勢いで怒られて、「ちゃんと用意してからこい。」みたいなところからのスタートでした。日本の当たり前と言っていいのか、スタンダードな見た目や格好から教えてくれたんです。
そこからある程度当たり前ができるようになって、ライセンスブランドっていうものに出会って様々な大手企業さんに携わらせてもらえるようになりました。自分がやってきた 仕事のスキルを上げないといけないので、紡績会社に言って工場とか全部見させてもらったり、糸、染色、織り、編み、全部を自分でマスターしたくて、当時はナビなども発達してない中、山を越えて他県まで足を運んだりして勉強させてもらったりしました。自分の中に知識を入れて、商談の際に10聞かれたら100返したいみたいな感じで…とにかく勝ちたかったんですよ。それが自分のもとになっていると思います。
樋口:20代で企業だからね。僕も大学生で働き始めた時にほぼ全ての方から、「お前は何もわかってない。現実を見ろ。夢みたいなことを言うな。大学生は大学生にできることをしろ。」 って説教されてます。基本的にお前ダメやってずっと言われながら。
―僕もやっぱり樋口さんと同じようなこと、 サッカーをやってた4年間言われ続けてきたんで。「お前には無理、お前がプロになんかなれない、お金は稼げない。 挫折し終わるだけやねん。やめとけ。」もう、ほんとネガティブな話ばかりいうんです、まわりの大人は。
樋口:不思議だけど、10年経つとその人たちが「お前は違うと思ってた」っていうんだよね。
―そうなんですよね。僕はビジネスも人間関係も、上辺とか、利害関係とかで寄ってくる人ではなく、どっちかっていうと人情なんです。
百瀬俊介も樋口智一も、どう考えても人情劇場ができる人。自分の言葉ではっきり言える人たちの方が、 本質で付き合えるから、ダメなこともさらけ出せるし、かっこつけなくていいんです。そういう人の方が僕の周りには多いですね。
未来へ紡ぐ
樋口:今後の展開ってあるんですか?
―僕はやっぱりBtoBかなと思ってます。企業に対して、企業さんで使うものならこういうものに変えてみませんかと、実際に地元四日市で制服を作らせてもらうなどを今やり出してるんです。ちょうどVIRIDARIも2020年からゴルフ事業を始めていて、オーガニックコットンや再生繊維を使ってるんですけど、その技術を制服事業の方に持ってたりとかしています。だから、次の展開としては、確実に着ないといけない必要なものを、オーガニックや再生繊維を取り入れていけるようにしたいなと思って。今度はBtoBでしっかり毎日使うものを展開していこうと動き始めています。
樋口:それは結構広がっていきそうですね。
ヤマダイ食品としても、そういうところから攻めていきたいですよね。伝わりますか。
―わかります。家の中に普通にあって、気づかないけど必ずある。
そんな会話から、渡邉氏と樋口は今後の展望について花を咲かせました。
これからバスタオル以外にも商品が展開していく予感…新たなコラボ品や取組に、皆様乞うご期待あれ!
”四日市”という出身からはじまったお二人の関係、オーガニックコットン製品の誕生を紐解いていく中で、“身近に当たり前にあるものから周りを良くしていきたい”という、お二人のモノづくりへの精神や行動力、追及心に共通するものがみられました。
渡邉様は“衣”、樋口は“食” 違う分野ではありますが、お二人がみる未来は交わっているように感じます。ヤマダイ食品はこれからも支えてきてくれた方々の想いを未来に紡ぎ、そしてより多くの人がより良くなる為に何が出来るのかを考え続けていきます。
最後に、対談にご協力いただきました渡邉様、本当にありがとうございました。